キリスト教徒にとって司祭がいないというのは、答えを教えてくれる人がいないってこと⁉︎

子ども達に楽笑な日々を過ごしてほしい、塾長の石井克馬です!

楽笑(らくしょう)

“常に楽しく笑顔でいる状態を指す造語です”

「今日も、楽笑(らくしょう)!」と楽しく笑って過ごす大人になってほしい。

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禁教令や島原の乱を覚えるだけでは面白くないし、楽しくもない!

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歴史の勉強をしていた中学生の素朴な疑問

「殺されるぐらいなら、棄教したら良いんとちゃうん?」という島原の乱や絵踏についての疑問。ボクは宗教的なことがわからないので、生徒と一緒に考えてみることにしました。

 

絵を踏んで信仰するものを簡単に変えることってどう思う?

信念をすぐに曲げてしまうようなものだから、あんまり良くないかも…塾長も、そう思う。簡単に変えてしまうような想いを信仰とは言えないよね。神や仏を信じるのが信仰、自分の想いを信じるのが信念。

 

司祭がいないってことは、先生も親も誰も正解を教えてくれない状況と同じ。

禁教令によって、司祭が一人もいない状況が200年以上も続いた日本。その中で、隠れキリシタンの方々は命をかけて信仰を貫き、司祭がいなくて誰も教えてくれないから自分たちで学んでキリスト教が途絶えないようにしていたんじゃないかな。。

 

えらい人がダメ(禁教令)だと言うから、みんなと同じようにしていたら、信念(信仰)を磨き上げることも貫き通すこともできないと思う。

上の人から言われた通りにやっていることはないかな?理不尽だと思いながらも仕方なくやっていることはないかな?いつの時代でも、他の人に言われた通りにやっていては、信念を磨き上げて貫き通すことはできないと思う。

 

時代が変わっても、自分の信念を貫く人々はとてつもないエネルギーを持っているんだと思う。そして、ボクは信念を貫き通せるような人間になってほしいと思う。

 

法律を守らない違法行為はマズイかもだけど…上の人やえらい人に違うことを言われても、自分が正しいと思う道を選んで進んでいけるように、たくましく成長してほしい。えらい人に言われた通りに棄教して仏教を選ぶような人間では、今の時代を生きていくのは厳しいと思うし、楽しくないと思う。
 

最後まで、お読みいただき

ありがとうございます m(_ _"m)ペコリ

 

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