「覚えましょう!」と教えられた事。それを覚えているかどうかだけを確認するテストに意義はあるのか?
子ども達に楽笑な日々を過ごしてほしい、塾長の石井克馬です!
楽笑(らくしょう)
“常に楽しく笑顔でいる状態を指す造語です”
「今日も、楽笑(らくしょう)!」と楽しく笑って過ごす大人になってほしい。
採点ミスじゃないって言われたわ。言った通りに覚えてないからダメやねんて…
中間テストが返ってきた生徒。
「×」がついてるけど合ってるところがあると思い、先生に確認しにいったそうです。
友だち同士で返却されてきたテストを見せ合いっこしながらすぐに直しをしているところに進歩を感じました。
I’ll ask you to write short letters in English to Jiro.
*日本語に訳しなさい
<模範解答>
私はあなたにジローへ英語で短い手紙を書くことを頼むつもりです。
<生徒の解答>
私はあなたにジローへ英語で短い手紙を書くために尋ねるつもりです。
職員室へ確認に言ったところ、学校の先生からは
「授業中の話を聞いていたか?«◯◯に△△を頼む»って覚えろと言ったやろ?」
みたいな風に言われて、採点は覆らなかったようです。
とても悔しそうな様子…
テストの点数を上げるためには、ひたすら暗記を強いなければならない…
先生がテストに出るところを教えてくれて、覚えていなかったのはいただけないことなのでしょうか?
自分なりに考えて、違う答えを導きだしことは評価されないのでしょうか?
これが、ボクも納得のいかない評価方法なんです。
«自分で考えて導き出した答え»を正当に評価してほしい。
«模範解答とは違うかもしれない»けれど評価してほしい。
覚えているかどうかのテストだけでは«計り知れない力»がたくさんあるはず。
テストの点数以外にも評価すべき所があるはずだというブログを以前に書いていました。
最後まで、お読みいただき
ありがとうございます m(_ _"m)ペコリ
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