自分が必ず死ぬと信じているから、あれもこれもやりたくなる。
子ども達に楽笑な日々を過ごしてほしい、塾長の石井克馬です!
楽笑(らくしょう)
“常に楽しく笑顔でいる状態を指す造語です”
「今日も、楽笑(らくしょう)!」と楽しく笑って過ごす大人になってほしい。
読みながら、自分がこれまで経験してきた「死」について考える事ができました。
死について見つめ直す中で、どうしてこんなにも色々な事をできもしないのにやろうとしているのか少し分かった気がする…
自分が必ず死ぬと信じているから、あれもこれもやりたくなるんだと思う。
海外旅行では色んな事をできるだけやりたいから、あれもこれも沢山のことを予定に組み込む感覚。
「毎日が海外旅行気分!」
あれもこれもやっとかないと、ボクは必ず死んじゃうから。
ボクが経験してきた死について…
飼っていた猫の死
小学生の頃に拾ってきた子猫を飼っていた。ある日、トイレを失敗した時に怒ってタオルを投げつけた…
翌朝、死んでいた。。ホントに断片的な記憶しかありません。
住んでいたマンション近くの公園に埋めた場所は覚えている。でも、名前は覚えていない。猫が死んだ日に学校へ行ったのかも記憶にない…
これが、一番最初の覚えている死…
中学生の時、父方の祖父の死
とても厳格で、幼少の頃からとても怖い人だと思っていたおじいちゃん。入院中のおじいちゃんが危篤との連絡があり、定期テスト中だったけど見舞いに行った。そして、死んでいく人を目の当たりにした。
中学二年生で父が癌で倒れる
その日のことは、ホントに覚えていない。手術後に母と二人で、摘出した肉片を見せられながら、お医者さんの話を聞いたシーンしか思い出せない。
高校一年生で阪神淡路大震災に被災
当時、西宮に住んでいたボクは自宅の前で道路(171号線)が落ちてぺっしゃんこになった車の中を見てしまったり、知人の死を経験した。
水槽が割れてしまったけど、水が出なくてどうしようもなくてボクの手の中でパタパタと動きながら死んでいった熱帯魚たち。
なんだかリアルに感じられない沢山の死を経験した。
そして、社会人になり父の死を経験
東京で単身赴任をしていたので、父の死に目には会えなかった…亡くなる前日に見舞いに行き、翌日に亡くなった父。
最後の最後まで現役バリバリで働いていた父。
たくさんの事を死んだ後で教えてくれた父。
東京で仕事中に倒れて入院
息子が産まれバリバリ無茶してやっていたら、仕事中に気を失い入院。妻を始め、沢山の方々にご迷惑をおかけしてしまった。入院中は、自分が工場で肉の塊にされていく現実としか思えないような夢を見たりもした。
関西に戻り、父方の祖母の死、そして母方の祖父の死
父方の祖母。父親(祖母にとっては息子)の葬式でボクにかけてくれた言葉が忘れられない…
「(父親の事を)小さい頃から病弱で…健康に生んであげられなくて、ごめんなさいね。」
母方の祖父。幼少の頃からそばにいてくれて、寝るまで車でドライブしてほしいというボクの願いを聞き入れてくれたり、お風呂では全身を洗ってくれた優しかった祖父。最後は、ひどい言葉を祖母に発していたのが信じられなかった…
「自分が必ず死ぬ」と信じられるようになった、肺気胸と手術
東京で倒れて入院した際は、周りにとんでもない迷惑をかけたにもかかわらず、ボク自身はあまり実感がなかった。どこか、他人事だった…
でも、二年前の肺気胸は違う。
猛烈な痛みが身体を襲ったし、教室での授業中に呼吸がしにくいことも経験した。
「今から死ぬんじゃないか?」という事をリアルに体験し、自分がいつか死ぬことは間違いないと思えた。
そこからだと思う。自分の中でやりたいと思ったことは全部やろうと思うようになったのは…
全部を出来るはずもないのに、沢山の事をやろうとしている…
「色々やりすぎ!」と人から注意されても、やりたくて仕方がない…
でも、全部を出来ないことは分かってる。
全部を自分でやろうとして、全部が中途半端になるのがボクの弱点。
それでも、死ぬと分かったからには全部やらずにはいられない、どうしようもない自分…
最後まで、お読みいただき
ありがとうございます m(_ _"m)ペコリ
進学塾ステージ オフィシャルサイト
Facebookやってます!
http://www.facebook.com/ishii.katsuma
あなた様の『いいね!』がボクの励みになります☆
進学塾ステージ中山校の公式LINE@
「塾長の無料お悩み相談室」
▲個別トークで何でも相談にのります!